「Nothing About Us Without Us(私たち抜きに、私たちのことを決めるな)」。障害者運動の世界で、もっとも知られた言葉の一つです。

じつはこの言葉は、私にとって少し特別です。大学で黒人の公民権運動をテーマに学び、その後、特別支援学校の教員をめざす学びのなかで、聴覚障害と「Nothing About Us Without Us(私たち抜きに決めるな)」というスローガンに向き合いました。学生時代にばらばらに出会ったはずのテーマが、この短い一文で一本につながっていることに、あとから気づいたのです。

黒人の公民権運動から始まり、障害者の権利、そして聴覚障害・手話の権利へ——この短い一文には、長いたたかいの歴史が畳み込まれています。今回はこの言葉を手がかりに、その歴史をたどってみます。

1. 「私たち抜きに決めるな」という言葉

この言葉のルーツは、意外なほど古いところにあります。ラテン語の「Nihil de nobis, sine nobis(私たちのことを、私たち抜きに)」に連なる政治的な標語で、中欧の議会主義の伝統にさかのぼるとされます。それが20世紀の終わりに、障害者運動のスローガンとして新しい命を得ました。

広く知られるようになったきっかけは、米国の障害者権利活動家ジェームズ・チャールトン(James I. Charlton)が1998年に著した書物『Nothing About Us Without Us: Disability Oppression and Empowerment』(カリフォルニア大学出版)です。チャールトン自身、この言葉を「発明」したわけではありませんでした。彼は同書で、1993年に南アフリカで、障害当事者団体の二人の指導者(マイケル・マストゥーサとウィリアム・ローランド)から、それぞれ別々にこの言葉を聞いたと記しています。つまりこのスローガンは、世界の障害当事者たちの間で受け継がれ、育てられてきた言葉なのです。

「このスローガンの力は、抑圧の源泉を言い当てると同時に、"コントロール(決定権)と声"という文脈で、その抑圧に立ち向かう点にある。」

── ジェームズ・チャールトン『Nothing About Us Without Us』(1998)より要約

核心にあるのは、「当事者ぬきに、当事者のことを決めない」という一点です。支援される対象(客体)としてではなく、自分の人生を自分で決める主体として——この考え方が、次に見るいくつもの運動を貫いています。

2. 公民権運動から、障害者の権利へ(アメリカ)

障害者の権利運動は、黒人の公民権運動から多くを受け継いでいます。米国立公園局の障害史の解説は、学校の人種隔離を違憲としたブラウン対教育委員会判決(1954年)が「障害を持つ人々の権利を認める土台を築いた」と述べています。障害を"かわいそうな人への慈善"ではなく"公民権の問題"として捉え直す——その発想そのものが、公民権運動からの継承でした。

504条の座り込み(1977年)

その象徴が、1973年のリハビリテーション法504条をめぐるたたかいです。504条は、連邦の資金を受ける事業での障害者差別を禁じた、米国で最初の連邦公民権規定でした。じつはこの条文は、1964年公民権法のうち人種差別を禁じた第6編(Title VI)の文言を、差別の理由を「人種」から「障害」に置き換えて、ほぼそのまま受け継いだものでした(米司法省の解説)。障害者への差別の禁止を「公民権の問題」として法律に書き込むこと自体が、黒人の公民権運動からの直接の継承だったのです。ところが、それを実際に動かすための施行規則の署名が、何年も棚上げにされます。

1977年4月、しびれを切らした障害当事者たち約150人が、サンフランシスコの連邦保健教育福祉省ビルを占拠しました。「504条の座り込み(504 Sit-in)」です。約25日間にわたる座り込みは、連邦施設の占拠として最長級のものとなり、当局はついに規則をほぼ無修正で署名しました。中心人物の一人ジュディ・ヒューマン(Judith Heumann)は「座り込みを通じて、私たちは抑圧された個人から、力を持つ人々へと自分たちを変えた」と語っています(スミソニアン国立アメリカ歴史博物館)。この座り込みで用いられた戦術こそ、1960年代の公民権運動が成功させた"座り込み"の借用でした。

そして印象的なのが、この占拠を黒人解放運動のブラックパンサー党が、毎日の温かい食事を差し入れて支えたという史実です。党の1977年の声明は「これは人権の問題——抑圧されたマイノリティである障害者の、雇用・教育・基本的生存の権利の問題だ」と連帯を表明しました。公民権運動と障害者運動は、ここで文字どおり同じテーブルにつきました。この橋渡しを身をもって担った一人が、ブラックパンサー党員でありながら多発性硬化症で車椅子を使っていたブラッド・ロマックス(Brad Lomax)でした。

バスと「アクセスは公民権だ」

公民権運動といえば、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコットを思い浮かべる人もいるかもしれません(黒人女性ローザ・パークスが、バスで白人に席を譲るよう求められて拒み、逮捕されたのをきっかけに、黒人たちが約1年間バスの乗車を拒否した抗議運動です)。じつは障害者運動にも、"バスのたたかい"がありました。1978年7月、デンバーで車椅子の当事者19人——のちに「Gang of 19」と呼ばれる人々——が、リフトのない新型バスへの抗議として、交差点でバスを2日間止めたのです。掲げたスローガンは「Access is a civil right(アクセスは公民権だ)」「We will ride(私たちは、乗る)」。バスをめぐる公民権のたたかいが、こんどは障害者の手で繰り返されました。この運動は1983年、公共交通のアクセスを全国で求める組織ADAPTへと育ち、やがて1990年のADAで、路線バスへのリフト設置が義務づけられていきます(RTDデンバー)。

黒人であり、同時に障害者でもある人たちが、この歴史を動かしてきました。504座り込みを組織したブラッド・ロマックス、バークレーの自立生活運動に加わったジョニー・レイシー、そして幼い頃のポリオの後遺症を抱えながら投票権運動を率いた公民権運動の指導者ファニー・ルー・ヘイマー——人種と障害という二つの現実を生きた人々の存在が、二つの運動を分かちがたく結びつけてきました。

自立生活運動、そしてADAへ

もう一つの流れが自立生活運動です。重い障害のある学生として1962年にカリフォルニア大学バークレー校に入学したエド・ロバーツ(Ed Roberts)らは、住居や教育のアクセス改善を求めて動き、1972年に世界初の自立生活センター(CIL)をバークレーに設立しました(UCバークレー)。「障害者が、自分の暮らし・仕事・地域参加を自分で決める」という自立生活の哲学は、まさに"私たち抜きに決めない"の実践でした。

運動は1990年、頂点の一つを迎えます。ADA(障害を持つアメリカ人法)の可決を求め、約60名の障害者が車椅子や補助具を捨てて、連邦議事堂の階段を這い上りました。「キャピトル・クロール(Capitol Crawl)」です。当時8歳の脳性まひの少女ジェニファー・キーランが階段を這い上る姿は、この抗議の象徴になりました。その約4か月後の1990年7月26日、ADAが成立。雇用・公共サービス・施設・通信における障害者差別を包括的に禁じる、公民権法の系譜を継ぐ画期的な法律でした。

3. ろう者が「私たちで決める」と立ち上がった日

"私たち抜きに決めない"を、ろう者自身が鮮やかに示した出来事があります。1988年3月の「Deaf President Now(DPN)」運動です。

舞台は、ろう者・難聴者のためのギャローデット大学。創立から124年、歴代の学長はすべて聴者でした。この年、理事会がろう者の候補者2名を退け、また聴者の学長を選んだことに、学生たちが立ち上がり、大学を封鎖します。掲げた要求は4つ。選ばれた聴者学長の辞任、ろう者を学長に選ぶこと、理事会をろう者が過半数を占めるよう再構成すること、抗議した学生・職員に報復しないことでした。

わずか1週間で、要求はすべて実現します。I・キング・ジョーダン(I. King Jordan)が、ギャローデット大学初のろう者学長に就任しました。ギャローデット大学博物館は、この運動を「ろう者・難聴者の自己決定(self-determination)とエンパワメントの象徴」と位置づけています。誰かに決めてもらうのではなく、自分たちのトップは自分たちで——DPNは、"私たち抜きに決めない"のろう者版でした。

4. 世界の約束へ ― 障害者権利条約

各地のたたかいで育った理念は、やがて世界共通の約束になります。障害者権利条約(CRPD)は2006年12月13日に国連総会で採択され、2008年5月3日に発効しました。

この条約こそ、「Nothing About Us Without Us」を体現するものでした。国連は2004年の国際障害者デーのテーマにこの言葉を掲げ、「権利基盤アプローチの本質は『Nothing About Us Without Us』という標語に埋め込まれている」と説明しています(国連 Enable)。実際、条約の起草・交渉には障害当事者とその団体が前例のない規模で参加し、当事者の経験と専門知が条文に持ち込まれました。条約は第4条3項・第33条3項で、実施と監視への障害者の参加を各国に義務づけています。「私たちのことは、私たちも一緒に決める」——それが国際法の言葉になったのです。

5. 日本では ― 差別解消法から手話施策推進法まで

日本は、この条約を批准するために国内の法律を整えていきました。順を追うと、次のような流れです。

  • 2011障害者基本法 改正。「全て障害者は…あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される」と当事者参加を掲げ、手話を法律上「言語」に含めて明記した(障害者基本法 第3条)。同年、内閣府に当事者も参加する障害者政策委員会を設置。
  • 2013障害者差別解消法 成立(正式名称「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)。同年、鳥取県が全国初の手話言語条例を制定——手話を「福祉」ではなく「言語」として扱う、日本で初めての条例でした。
  • 2014障害者権利条約を批准(1月20日)。国内法を整えたうえでの批准だった(内閣府 障害者白書)。
  • 2016障害者差別解消法 施行(4月1日)。不当な差別的取扱いの禁止と、合理的配慮の提供を定めた(内閣府)。
  • 20242021年改正が施行され、民間事業者の合理的配慮が"努力義務"から"法的義務"に政府広報オンライン)。お店や会社にも、対話にもとづく配慮が求められるようになった。
  • 2025手話施策推進法 成立・施行(正式名称「手話に関する施策の推進に関する法律」)。手話を「言語その他の重要な意思疎通のための手段」と位置づけ、国・地方に施策の責務を定めた(内閣府)。

そして、この理念は国の計画にもはっきり書き込まれています。政府の第5次障害者基本計画は、「『私たちのことを、私たち抜きに決めないで』の考え方の下、インクルージョンを推進する」と明記し、障害者を「施策の客体ではなく、自らの決定に基づき社会に参加する主体」と位置づけました(内閣府 令和6年版障害者白書)。南アフリカで交わされ、アメリカで運動を動かし、国連で世界の約束になった言葉が、いま日本の計画の一行になっているのです。

6. 手話をめぐる「私たち抜きに決めない」

ここまでの歴史を並べると、一つの筋が見えてきます。権利は誰かに「与えられた」のではなく、当事者が声を上げ、参加を求め、少しずつ形にしてきたということ。そして、その根っこにはいつも「私たち抜きに、私たちのことを決めるな」という一言があったということです。

日本で手話が「言語」として法律に書き込まれ、手話言語条例や手話施策推進法が広がってきた背景にも、ろう当事者や団体の長年の運動がありました。ここでも歴史を動かしてきたのは、当事者の声です。

「私たち抜きに、私たちのことを決めるな」——その"私たち"の真ん中には、いつも当事者がいます。手話や聴覚障害をめぐるこれからを考えるときも、その声が真ん中にあるかどうかが、きっと問われ続けます。それこそが、この古い言葉がいまも静かに投げかけている問いなのだと思います。

「Nothing About Us Without Us」は、南アフリカの当事者から、アメリカの運動、国連の条約、そして日本の法律と計画へと受け継がれてきました。貫くのは、当事者ぬきに当事者のことを決めないという、シンプルで、しかし何度でも立ち返るべき原則です。

手話や聴覚障害をめぐるこれからを考えるとき、この一言は、たしかな道しるべになってくれるはずです。当事者の声が真ん中にあるか——そこにいつも立ち返りながら、私自身も考え続けたいと思います。

主な参考資料(本文の事実確認に用いた一次・権威情報)

  • James I. Charlton『Nothing About Us Without Us』University of California Press, 1998(UC Press
  • 国連 CRPD(UN DESA)/国際障害者デー2004「Nothing About Us Without Us」(UN Enable
  • Smithsonian NMAH「Section 504 Protests」(americanhistory.si.edu)/DREDF「Short History of the 504 Sit-in」(dredf.org)/Disability Social History Project「504 Protests and the Black Panther Party」(disabilityhistory.org
  • NPS「Disability Rights Movement」(nps.gov)/UC Berkeley「Disability Rights Movement Highlights」(berkeley.edu)/HISTORY「Capitol Crawl」(history.com
  • 米司法省 Title IX Legal Manual(504条とTitle VI/IXの並行)(justia.com)/RTDデンバー「We Will Ride」(rtd-denver.com)/ADAPT(ADAPT
  • Gallaudet University Museum「Deaf President Now」(gallaudet.edu
  • 内閣府『障害者白書』批准・第5次基本計画(H26版R6版)/障害者差別解消法(内閣府)/手話施策推進(内閣府)/合理的配慮の義務化(政府広報)/鳥取県 手話言語条例(鳥取県